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2006-12-03

マス広告はなぜ売れなくなっているのか

マス広告が売れなくなってきている理由が、「視聴者のマスメディア離れ」、「インターネットへの視聴者シフト」である、という見解に対して、タカヒロさんが一石を投じている



最近は企業のモノづくりがより細分化されたマーケットや、マスであってもカスタマイズ可能なものが増えてきたのは確かな事実である。それゆえに、「マス」というサイズで行うマーケティングも減ってきたのではないか。



この示唆は重要である。少なくとも、マス広告、とくにテレビ広告が売れなくなってきているという事実に対して、「インターネットの影響とだけ考えるのは片手落ちだ」という点において。

タカヒロさんの見解は、消費論ブームの1980年代に論争を呼んだ「少衆分衆論」と軌を一にするものである。もう一歩引いた立場からは松井剛さんのいう消費社会の進歩主義的理解に通じるものかも知れない。


1980年代から20年の歳月を経た今、モノづくりの細分化は、コスト削減を行いつつ生産管理技術を向上させることや、流通の仕組みの効率化と、流通による少数ロットの仕入や在庫のシステムなどの技術的な向上にも支えられて、実現可能性が高くなっている。サービスにしても流通の発展は大きい。


ただし、こうした変化は一部を除いて(注1)急激に起こるものではなく、緩やかに起こる。何より、マスプロダクションを基盤としたマスマーケティングの効率のよさを、企業が簡単に捨てるわけがない。消費者とて、自分で好きな仕様を選ぶことができたとしても、それに余分なお金を払ってまでそうするかどうかは、相当悩ましい選択になるはずだ。たとえば、Sonyのノートパソコンは一部の機種で色などを選べるほか、様々なカスタマイズができるが、それが製品群の主軸ではない。一眼レフのデジカメも黒以外のカラーバリエーションはあったとしてもシルバーだ。


テレビ広告が売れなくなっていることは、そうした穏やかな変化の累積的帰結だ、と断ずるのも無理があるように思う。


そこで、私は二つの仮説を提示したい。ただし、それらは独立のものでなく、相互作用のあるものだ。


一つめは、短期的成果主義の浸透による、ROI追求の結果としてのマス広告離れ。

今世紀に入ってからしばらくして、しきりにマーケティング担当者の口をついて出てくるようになったコトバが「費用対効果」または「ROI(Return on Investment)」だ。マスメディアを使う広告(マス広告)、特にテレビ広告は媒体利用の金額がかさむ。CPM(Cost Per Mill)つまり千件の露出に対する費用からすると、テレビコマーシャルのコスト効率はよい。しかし、本当に知りたいのは露出ではなく到達、さらにはそれによって起こされたアクション、望ましいのはテレビ広告によって直接的な購買に結びついたという証拠である。残念ながら、今の測定システムでは正確なところはわからない。テレビ広告は本当に効くのか、という問いに対して実証することができないのだ。


これに対して、インターネット広告は、何人がアクションしてくれたか、ということに(従来のマスメディアよりは)正確に答えが出せる。つまり、テレビ以外の手段、CPM以外の測度が出てきたことにより、テレビを強く推すに足る理由が見いだしにくくなってきった。結果として、従来よりは幅広い見方をし、選択肢を企業が検討するようになったことを指摘したい。(だからといって、インターネットの測度が、広告の費用対効果をきちんと割り出しているのかどうかは大いに疑問がある。ここでは議論しないが。)


二つめの仮説は、広がった選択肢による、マス広告(特にTV広告)の相対的衰退である。


増えた選択肢の筆頭はインターネットの提供するさまざまな手段だが、屋外広告や交通広告などのバリエーションも急激に増えている(注2)。改札口に貼られたスティッカー、列車内の動画ディスプレイ、バスラッピング(路線バスなどの外部に出す大型の広告)や、柱巻きと呼ばれる駅などの柱に巻き付けるポスタータイプの広告、エレベーターの手すりや階段に貼り付けるもの、パスネットの券面、そして次々と創刊されるフリーペーパーなど、ありとあらゆる場所、空間を広告の媒体にしてしまおうとするエネルギーを感じざるを得ない。また手法としても、純広告と呼ばれるはっきりと広告とわかるものだけでなく、Product Placementと言われる映画やTV番組にそれとなく商品の使用場面を挿入するやりかたなど、広がりが出てきている。


広がった選択肢のほとんどは、マス媒体(Measured MediaまたはATL(Above the Line))でなく、マスでない媒体(BTL:Below the Line)である。たしかに、こうした選択肢は、タカヒロさんの主張する細分化されたマーケットへの適応度が高いものではあるが、同時に、一つ一つの単価は安いからリスクが低いという側面もある。つまり、マーケティング予算を分散させ、細かく調整するという、堅実ともけちくさいとも言えるやり方にシフトしてきていると言える。企業の利益追求のための予算削減の圧力に対する、マーケティングコミュニケーション担当者の適応行動の結果、マスが地盤沈下を起こしつつある、というのがこの仮説の本意である。それは必ずしも、消費者の変化や企業がモノをつくり、流通させるやり方の変化だけに対応したわけではないことを示唆しておきたい。


短期的成果追求、予算削減圧力、費用対効果の説明責任により細分化されたメディアの創出が加速したこと、それにインターネットの浸透を起点とした消費者のメディア視聴行動の変化が起こり(特に若い世代の新聞離れは、急激に起こっている)、加えて企業のモノづくり、流通の技術革新による細分化されたニーズへの対応が進んだこと、さらに、マーケティング手法の多様化が重なって、マス広告への相対的予算配分が減ってきていること、これがマスメディアの地盤沈下の背景ではないかと考える


マーケティングコミュニケーションの上で重要なのは、単一のメディアやビークルのことを考えるのではなく、その複合効果をどう最大化するかという観点でプランを立てることである。すなわち、メディアプランにおいては「選択と集中」という方略だけでなく、いつ、どの媒体に、どのようなやり方で、どれだけの配分を行うかを考えた、「分散と複合」が重要な方略となる。テレビが相対的に力を失ったにしても、それを敢えてどう使うか、も知恵の出しどころなのである。


テレビCM崩壊」の惹句にあるような、「テレビCMは、質、信憑性、効果のどれをとっても最低だ」という言説は、力強いが説得性は希薄だ。少なくとも我が国においては、視聴者の数が減っていない以上、テレビCMが簡単に死ぬわけではない。企業がテレビ広告をやる理由は明確で、数値で立証できないにしても、テレビ広告をやったら確かにモノが売れた、という経験、肌感覚なのである。テレビ広告をやってもモノが以前より売れないとなったらどうなるか、も簡単に予想できる。市場原理に沿ってテレビ広告の媒体価格が下落するか、枠を減らして価格を維持するかだ。そうなれば、供給に対応した需要が再び興る。


注1.しふーさんのブログで例示されているような、CDの売り上げの急激な変化は、例外の一つと言って良いだろう。


注2.残念ながら、新しく開発されたメディア、ビークルもまた、広告効果の立証はほとんど手つかずのままである。広告効果の算出を本気でやろうとすると、かなりの費用がかかることになる。

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