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2006-12-05

ラグジュアリーブランドと市場のフラグメンテーション

消費者の個性化のようなことが進行しているにしてもそれはきっと緩やかなものに違いないということを考えたとき、真っ先に頭によぎったことはラグジュアリーブランドだった。

なぜ、猫も杓子もルイ・ヴィトンなのか。本来、自分の個性の象徴であるべき装いが、結果として「みんなと同じ」になってしまうことが、マーケットの細分化はそうそう急激に起こらないことの証だろうと思っていた。因みに、ルイ・ヴィトンの製品は日本人女性の44%が所有しているそうである。

この本では、3つのラグジュアリーブランド、ルイ・ヴィトン、エルメス、シャネルを取り上げ、それぞれのブランドの発生、歴史を丹念に追いかけることで、ブランドの成立要件を探っている。

ブランドは、その名を価値の根拠とする。その名がどうやって価値に結びついてゆくのか、3つのブランドのそれぞれの神話の成立事情と、それが大衆化してゆく過程を解き明かしているのだが、これが面白い。皇室御用達を利用したルイ・ヴィトン。マスプロダクションの時代を読んだうえで、敢えて職人生産の希少性を軸にしたエルメス。コピー商品を敢えて野放しにしつつ、マスメディアの力でココ・シャネル自身を伝説化していったシャネル。

近づきがたいものを手にする満足感をあたえつつ、同時に親しみやすさも感じさせるルイ・ヴィトンは、まさに「奇跡」のように、本来なら両立しないものも共存させているのである。ヴィトンの驚異的な人気はなんといってもこの綱渡りの妙にある。



そう、ブランドは差異化と同質化、つまり自分は個性的でありたいという気持ちをくすぐりながら、誰もが知っている中での記号性という両側面をうまく操りながら生きながらえているのである。そのための革新についても本書では触れられている。

この本を一気に読ませるのは、引用も含めて示唆に富んだコトバが次から次へと出てくることである。語り部としての著者の才能はたいしたものだと思う。特に、ココ・シャネル自身の言葉は、魅力的だ。

 クチュリエの役目なんてたいしたものじゃなくて、時代にただよっているものを素早くキャッチするアートだとしたら、いつか他人も同じようなことをするでしょうね。私がパリの街のそこここにただようものにインスピレーションをうけたのと同じこと。別の人間が私の真似をして同じようなことをしたとしても不思議じゃないわ。
 そうよ、いったん見出されてしまえば、創造なんて無名の中に消えてゆくものよ。



このブランド論は、マーケティング書によくある消費者購買の視点を中心に据えたものではなく、その意味では異彩を放っている。またラグジュアリーブランドに限った考察であることは、却ってブランドの本質をはっきりさせることにおいて成功している。

さらに、なぜ贅沢をするのか、という歴史的考察も面白い。王侯貴族の奢侈が産業進行という政治的な役割と結びついていたということなどは、マーケティングのブランド論には決して出てこない視点だ。ただし、ブランドが女のものであるということをアプリオリに認めていることは、本当にそうなのかどうかが今ひとつ釈然としない。そのあたりをじっくり実証することを、著者に望みたい。

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