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2006-12-08

10年続ける

今年に入ってから、水曜日の通勤が楽しい。東京芸大の美術解剖学の授業を聞くようになったからだ。月曜日に行われた授業のmp3ファイルが火曜日にアップロードされ、それを水曜日に聞く、という習慣がついた。私のiPodに納められたコンテンツの中でも、お気に入りの一つになっている。往復で一回分。本を一冊読むくらいの満足感を持った、知的なエンターテインメントだ。

美術解剖学という学問についてはよくわからないが、いろいろなアーティストがゲストで登壇し、それぞれの思いを芸大の学生にぶつける。

美術解剖学の授業枠は、茂木健一郎さんのもので、ゲストを招待するのは茂木さん。誰を呼んで欲しいかについて、学生のリクエストにも応じたりする。ゲストはそれぞれのスタイルで真剣に学生と向き合い、講義し、質疑を通して議論を交わす。一期一会の時間、勝負の趣さえ感じることがある。中には、90分間怒り続けていた人もいた。面白いのは、茂木さんは遠慮なく学生を実名で登場させ、ゲストへの質問を時に名指しで強要したりすること。

今週は、作曲家江村哲二さんの授業だった。どこかで聞いたことのある名前だな、と思っていたら、彼のブログを以前何度か訪れていた思い出し驚いた(どうやってたどり着いたかは謎)。どういう経歴の方だかも茂木さんの紹介ほとんど知らなかった。

江村さんの講義は、情熱にあふれたもので、内容のある、しかもわかりやすいものだった。ジョン・ケージの曲作りなどに関して、興味深かったのだが、印象に残ったのが3つある。

ひとつは、プロになるために、十年作曲の努力つづけたというくだり。江村さんは、作曲家を志そうと先生に相談したときに、十年続けなさいとアドバイスを受けた。情熱に駆られて作曲を続け、十年が経ち、認められるようになって先生に報告にいったら、その先生曰く「十年たったら認められるのは当然。普通なら、その手前で続かなくなっている」。

これは前回ポストした羽生さんの「直感力」の中で、同じようなことが次のように書かれている。

以前、わたしは、才能は一瞬のきらめきだと思っていた。しかし今は、十年とか二十年、三十年を同じ姿勢で、同じ情熱を傾けられることが才能だと思っている。

ふたつ目は、江村さんが独学で作曲を学んだことについて、茂木さんとの質疑の中で、芸大などのinstitutionに属していても、自分で学ぶいわば独学の要素がないとアーチストになれない、という点。これも「決断力」の中で、羽生さんが師匠の二上達也さんに触れた箇所を思い出させる。

 二上先生とは、その後、奨励会の二段のときと、プロになって五段のときの計三回しか指していただいていない。
 将棋界では、ふつう師匠が手取り足取りして弟子に教えることはない。翌年に正式に入門してからも、先生には「こうしなさい、ああしなさい」といわれたことはないし、怒られた記憶もまったくない。

これがプロを養成することなんだなあ、と思う。養成の本質は、プロとなるべき人の自立を促すことにある。これは、本日の小飼弾さんのブログに書いてあったこと(人を育てられると思ったら負け)とも共通する。

三つ目は、音楽について、マーケットのフラグメンテーション(細分化)に触れていたこと。うーむ、音楽というのは、やはり個人の嗜好が相当分かれる分野なのだ、ということを改めて感じる。

一回の授業の中で、つい最近読んだりしたことや考えたりしたことと、こうした繋がりができている。知識というのは、こうして相互にリンクされた形で、脳の中に格納されてゆくのかも知れない。

授業は江村さんのものに限らず、(おそらくは)謝礼や生活の糧のためではない、純粋な動機に支えられていることを感じる。そうした話をオープンにして、音声ファイルで公表するシステムを芸大において実践されている茂木さんに感謝したい。

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